名古屋高等裁判所金沢支部 昭和27年(う)48号 判決 1952年6月02日
控訴人 被告人 今村昌一 外一名 弁護人 高見之忠 外一名
検察官 柴田孔三
検察官 宮崎与清関与
主文
検察官並被告人等の本件各控訴をいづれも棄却する。
理由
弁護人高見之忠、同古屋東の控訴趣意は、昭和二十七年二月十九日付控訴趣意書記載の通りであり、検察官富山地方検察庁検事正検事柴田孔三の控訴趣意は、同年同月二十日付控訴趣意書記載の通りであるから、此処にこれを引用する。
検察官の論旨第一、二点について。
麻薬取締法第一条第四号によれば、阿片又はコカ葉から抽出される一切のアルカロイド及び其の誘導体並にこれ等の塩類を含有するもの、たとえば、塩酸モルヒネを含有する滅菌水の如きは、麻薬であることが明かである。しかしながら、其の反面解釈として塩酸モルヒネを含有する物質は、総べて同法に所謂麻薬に該当すると断定することを得ない。蓋し、或る物質中に含有されている塩酸モルヒネの分量が極めて微量であるか、又は時間の経過其の他の理由より成分の一部が変質し、これがため、麻薬としての薬理的作用を発揮するに至らず、これを人体に施用しても全く無害なものであるとするならば、これをもし、同法に所謂麻薬であるとし、其の取扱につき厳重な統制に従わしむべき社会保険上の必要が毫もないからである。原審証拠調の結果、殊に、被告人並に笹倉(中川)利子の検察官に対する各供述調書の記載を綜合すれば、被告人が池田ヒデに交付した液体は、使用後相当年月を経過した空壜の中に附着していた塩酸モルヒネの微少量を、一〇c.c.の滅菌水中に溶解したものであつたことを認め得べく、被告人の弁疏によれば、被告人が池田ヒデに該液体を交付したのは、心理的作用によつて、その胃痛を鎮静せしめようとする、一種の暗示療法を施すためであつたと言うにあつて、しかも、原審第七回公判調書中証人倉田軍一、同第八回公判調書中証人豊田湊の各供述記載、豊田湊の作成に係る試験成績書の記載等によれば、前記の液体中に、塩酸モルヒネの薬理的有効成分が百分の五粍瓦(〇・〇〇〇〇五瓦)以上あつたことは、これを肯定し得ないでもないけれども、それ以上幾何の有効成分を含有していたかの点については、これを確認するに足る資料がなく、しかも前顕豊田、倉田両証人の供述によれば、麻薬施用の常習性なき人体(小児)に作用する塩酸モルヒネの最低量は、〇・五粍瓦内外であつて、百分の五粍瓦程度の量によつては、別段影響するところがないものであることを認め得るに於ては、前段敍説の法理に従うときは、本件液体が麻薬取締法に所謂麻薬であることを認定すべくしてその根拠を求め難いと言わねばならぬ。尤も池田ヒデの検察官に対する各供述調書の記載を綜合すれば、前示の液体を施用することによつて、同女の胃部に於ける痛感が、鎮静に帰した事実もあつたことは、これを認め得ないではないが、しかしながら、記録を精査しても、斯る医療的効果の発生を見た原因が、或は塩酸モルヒネの薬理的効果のためであつたか、或は、暗示による心理的効果のあらわれに過ぎなかつたか、そのいずれに基いたものであつたかの点につき、これを確認するに足る資料の存在を見出し難いから、「本件液体は、池田ヒデに対し、現実に薬理的効果を発揮したものである。」旨の論旨は到底これを是認するに由がない。
なお、中川(笹倉)利子の検察官に対する昭和二十四年十一月二十八日付供述調書の記載によれば、被告人が昭和二十四年七月中池田ヒデに交付した塩酸モルヒネの水溶液は、〇・〇〇一瓦乃至〇・〇〇二瓦の塩酸モルヒネを一〇c.c.の滅菌水中に溶解したものであつたことを窺知し得ないでもないが、既に敍説したところによつて明かなように、右塩酸モルヒネは開封後長時間を経過した空壜中の残滓であり、しかも、該塩酸モルヒネが空気との接触其の他の原因より変質したものでなかつたことを肯認すべき何等の資料がないから前記中川利子の供述によつても前記の液体が所謂麻薬(すなわち麻薬としての薬理作用を発現するに足るもの)であつたことを確認することは至難である。そうして見れば本件公訴事実中所論の部分に対し、犯罪の証明なしとして無罪の言渡をした原判決は、事実を誤認したものでなく、また、法令の適用を誤つたものでもないから、論旨は理由がない。
論旨第三点について。
原判決を検するに、原審は、被告人が池田ヒデに対し、公訴事実中に言うが如き、多量の麻薬を含有する液体を交付した事実は、これを認め得ずとの理由により、所論の公訴事実については、犯罪の証明なしと判定し、訴因の範囲内に於て認定し得る事実、すなわち、被告人が池田ヒデに対し、麻薬である塩酸モルヒネを含有しているにも拘らず、既に述べたような原因によつて麻薬としての薬理作用を発現しない液体を交付した事実については、罪とならない旨判示し、被告人に対し無罪の言渡をしているものであることが、該判文に徴し明白であつて、そうして見れば、原判決は公訴事実について結局犯罪の証明なしとし、無罪の判決をしたものと認むべく、原審が斯る判断の仕方をしたからと云つて原判決の理由に齟齬若しくは不備が存するものとなすを得ないから、論旨は理由がない。
弁護人高見之忠、同古屋東論旨第一点について。
罰金等臨時措置法第四条は、同法第三条第一項各号に掲げる罪以外の罪(条例の罪を除く)につき、其の多額が二千円に満たず、其の寡額が千円に満たない場合に限り、その適用を見るべきであり、麻薬取締法第五十九条第一項同法第五十七条第一項による本件犯罪に対し、これを適用すべきでないことは、これら犯罪の法定刑を検討すれば自ら明らかなところである。尤も、本件犯罪に対しては罰金等臨時措置法第二条第一項を適用すべきであるところ原判決の擬律を検討するに、原審が特に判文中該法条を挙示引用した形跡は、これを認め得ないけれども、同法条は、同法第三条、第四条等の如き、各本条に定める法定刑を変更する所謂刑法各則的規定ではなく、刑法第十五条と等しく罰金刑の最低額を規定するに過ぎない、言わば刑法総則的な規定であると解するを正当とすべく、従つて判決の法律理由中特に該法条を挙示する必要はないと言わなければならない。そうして見れば、原判決は法律の適用を遺脱したものではないから、論旨は理由がない。
同論旨第二点乃至第六点について。
原判決挙示の各証拠を総合すれば、原判示の事実を肯認するに十分である。麻薬ナルコボン、スコポラミン一・一c.c.入りの注射液を開封し、其の内〇・六c.c.を患者に施用し、その残余〇・五c.c.を、事実上廃棄することなく開封口を再び密閉の上保管蔵置し、其の後これを他の患者に施用に至つた場合に於ては、施用者は、斯の如き残余〇・五c.c.についても、さきに使用した〇・六c.c.と同じく、自家備付の帳簿に、右施用に係る麻薬の品名数量等所定の事項を記載すべく、また患者の住所、氏名其の他につき法定の記録を作成すべき義務を負うものであつて、かくの如き残余の部分について、帳簿上廃棄処分の記載をなし、若しくは何等の記載をなさずに放置すべきものではない。弁護人は、「被告人は、前記の如き事情により、斯の如き場合には、医師として記帳並に記録作成の義務がないものであると確信していたものである」と主張するけれども、該事実を肯認するに足る措信すべき資料なく、また、仮に被告人に於て敍上の如く確信していたとしても、右は法律の不知に外ならず、これによつて其の犯意なしとするを得ない。また、証拠によれば、看護婦笹倉(中川)利子は、被告人の指示により被告人の記帳事務を補助していた者に過ぎないことが明かであり、この事実に徴すれば、被告人は、所論の如く従業者の違反行為に対する使用者としての責任を負担するに過ぎない者ではない。さらにまた、所論中川利子に対する検察官作成の供述調書の記載については、該調書が、所論の如く信用すべき特別の情況の下に於て作成されたものでないことを肯定すべき資料がない。該調書の記載が同人の原審公判廷に於ける証言と抵触するとしても、その一事のみによつて該調書に証拠能力がないと断定するを得ない。なお、証拠によつて犯罪の成立を認定するには、必ずしも犯罪構成要件の全部に亘つて、補強証拠の存在することを必要としないから、たとえ、犯意の点につき、被告人の自白以外に直接これを補強すべき資料がないとしても、別段採証の法則に違背するものではない。そうして見れば、原判決は事実を誤認したものでなく、又は法令の適用を誤り若しくは訴訟手続に法令の違背が存するものではないから、論旨は理由がない。
よつて、刑事訴訟法第三百九十六条に則り、主文の通り判決する。
(裁判長判事 吉村国作 判事 小山市次 判事 沢田哲夫)